「なんて素敵なストーリーだろう」1860年に渡米した福沢諭吉の目に映る当時のアメリカに対する海外の反応

歴史

1860年、福沢諭吉は日米修好通商条約批准のための幕府使節団に従者として同行し渡米しました。

後年の自伝「福翁自伝」にはこの際のアメリカに対する印象などが描かれており、その一節を英語で朗読して紹介するYOUTUBE動画が150万再生(※2024年4月時点)を超えています。

以下要所を箇条書きで大まかにまとめます。

― 五か国条約締結後に外国との貿易のために開かれた横浜を訪ねたが、自分が学んでいたオランダ語が全く通じずそこで話されていたのは主に英語であった。

― そのため江戸に帰ってから英語通訳者の下で英語を教えてもらい勉強した。

― 日米修好通商条約批准のための幕府使節団に従者として同行し、幕府が買い付けた咸臨丸で37日かけて渡米した。


― 蒸気船を目撃してからたった7年で航海術と科学の原理を理解し、日本人のみで太平洋横断を成し遂げたのを誇らしく思った。(※訳注:実際には往路では日本人船員は慣れておらずアメリカ人船員が実質運用し、復路では日本人船員中心に舵を取ったようです

― 到着したサンフランシスコではこれ以上ないくらいの歓迎ともてなしを受け、さまざまな高官が接待をしに訪れた。

― 日本人の趣向に合わせて多くのシーフードと毎日の風呂を準備してくれた。

― モダンなホテルに連れていかれ、すべての床にカーペットが敷かれた豪華な内装の部屋を土足で歩く人々に驚く。


― シャンパンを提供されたが、グラスのなかに入れられたものがなんなのかわからず、皆で口に入れて吐き出したり、噛んでみたりしたうえでようやくそれが氷だと分かった。

― 日本では何も恐れぬ独立した男であったが、アメリカではシャイで自意識過剰な顔を赤らめる花嫁のようだった。

― ダンスパーティに参加してみると紳士淑女が部屋をみんなで飛び回っていて何をしているのか全く理解できなかった。失礼だと思いつつも皆、笑いを堪えるのに必死だった。

― サンフランシスコのホストは、見たことないだろうとばかりに近代産業が生み出す電信機などのテクノロジーをみせてくれたが既に書物で原理を知っていた。


― それよりもアメリカ人との生活や社会習慣、考えた方の違いに驚いた。


― 海岸には、江戸なら人々が群がるであろう空き缶や壊れた道具が捨てられていることや、カリフォルニアの日用品の物価のあまりの高さなど

― 江戸幕府を開いた徳川家康の子孫がなにしているかは江戸では誰もが知っているが、初代合衆国大統領のワシントンの子孫の現在を誰も知らない事実に驚いた。


― アメリカ人は帰国前に軍艦の修復や役にたつロッカーを備えつけていてくれた。修復費を払いたいといってもと笑っていて、何も受け取らなかった

― アメリカでは英語はまだ十分に扱えず、オランダ語に頼っていた。講義をおこなう塾では自分を先生と呼んでいたが実際のところはまだ自分も未熟な学生のひとりであったのだ。

youtubeより引用


anonymous
アメリカ人が日本の慣習を尊重しつつ代表団も受け入れ、もてなしたということをとても誇りに思わざるをえない

anonymous
↑大きく異なる文化の出会いもこのときばかりは楽しいものになったようだね

anonymous
↑昔の人はみんな怒れるレイシストで自分たちと異なる誰かを憎む頑固者とみんな思いたがるんだよね。
でも一般的な人々は好奇心から新しいタイプの人々を受け入れていたと俺は思っている。
新しいタイプの人々は異質のもの、異なる習慣をもつものとみられていたことは当然としても、人々はお互いに理解しようとする意思と能力を持っていたと俺は信じたい

anonymous
’カリフォルニアの日用品の値段の高さには驚いた’

俺も今同じ気持ちだよブラザー

anonymous
↑その頃から何も変わってないじゃん…

anonymous
日本人:こいつら変だな、でも好き
アメリカ人:こいつら変わってる、でも好きだ

anonymous
豆知識:
この自伝を記した男は10000円札に描かれている人物と同一である(フクザワユキチ)

anonymous
↑うそ!日本に住んでいた時、給料日になると毎回彼の顔を見ていたけど、のちに彼の物語を聞くことになるとは思いもしなかった!

anonymous
福澤さんってのはとてもクールなやつだったようだね

anonymous
↑だから10000円札に描かれてるんだろ

anonymous
”海岸は鉄製のゴミで散らかっている”

今じゃプラスティックが散らかってるよ

anonymous
なんて素敵なストーリーなんだろう

anonymous
彼は教師だけれど、自分を教え子と同じひとりの学生だとみなしている。なんて謙虚なんだろう。
これを参考にすればもっと我々はもっとお互いのことを学ぶことができる。

これってタイムリーなことだよ

anonymous
この人すげえ。東京の慶應大学の創立者でもあるんだって

anonymous
これ異文化体験の物語としては自分のお気に入りかも。一方的な断罪がなく、おちゃめな困惑があるだけなんだ

anonymous
↑俺はこの人がほんとに好きだ。偏見も傲慢さもない

anonymous
訪問者に素晴らしいもてなしをして、さらにすごく親切でもあったサンフランシスコの昔の人々に感謝と誇りを抱くのは自分だけじゃないよな?

anonymous
映画化できるよこれ、なんでされないの!?

anonymous
ほんと賢くて謙虚なひと。
自国の文化を愛しつつも他国の文化も学ぼうとする人をみるのはいいものだ。アメリカ人がダンスしている間、かれらが笑いを堪えていたシーンはおもしろかったよ

anonymous
今も昔も新しいものとの出会いに関する物語では、テクノロジーよりも人々との交流のほうがより記憶されて、熱心に語られるようだね。
結局のところ人間は社会的な生き物で、本当に意味があるのは他の人々との交流なんだよ


みな、福沢諭吉の語りからにじみ出る魅力的な人柄に感心していたようです。

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