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「冤罪で37年間刑務所に入れられていたけど何か質問ある?」人生の大半を刑務所で過ごしたフロリダの男の回答が深い【海外の反応】

robert debois 体験談

日本でも最近、袴田事件の再審が始まりましたが、37年間刑務所で暮らし冤罪として釈放されたロバート・デュボイス(Robert DuBoise)氏と記者2人がRedditに現れ、質問を募集していました。

事件の概要

デュボイス氏は18歳の時、ショッピングモールから徒歩で帰宅していた19歳のバーバラ・グラムスを殺害した容疑で逮捕された。目撃者はいなかったが、検察は被害者の頬に残された噛み跡をもとに立件。歯科医が噛み跡はデュボイス氏のものと一致すると言い、強姦と第一級殺人の罪でデュボイス氏は死刑を宣告された。


以下はhttps://deathpenaltyinfo.org/の記事の抜粋

フロリダ州の死刑囚ロバート・デュボイス(写真)が、犯してもいないレイプ殺人で収監されていた37年間の補償として、Tampa市から1400万ドルを受け取ることになった。2024年2月15日、Tampa市議会は全会一致で和解案を承認。この和解は、2021年にデュボイズ氏がTampa市、4人のTampa警察官、彼に不利な証言をした法医歯学者を相手取って起こした訴訟を解決したものである。この訴訟では、警官と歯科医が共謀してデュボイス氏に不利な捏造証拠を提出し、警官もまた拘置所内の情報提供者クロード・バトラーと共謀してデュボイス氏に不利な虚偽の証言をしたと主張していた。

DNA鑑定の結果、別の2人の犯人と判明したため、2020年にデュボイズ氏の冤罪は晴れた。和解が成立した後、デュボイス氏はCNNの取材に対し、「私は全く無実の罪で37年間も投獄されていた。警察が間違った人物に焦点を当て、自分たちの理論に合うように証拠をでっち上げ、真実を見つけるための捜査をしないために、このようなことが起こるのです。人生が台無しになり、地域社会の安全が損なわれるのです」。Tampaのジェーン・キャスター市長は、「刑事司法制度の信頼性には、細心の正確さと最高の捜査基準の遵守が必要です。今日のTampa警察は、テクノロジーとトレーニングにおいて、40年前よりはるかに進んでいます。この和解がデュボイス氏の治療に役立つことを願っています。」

https://deathpenaltyinfo.org/


以下Redditのコメント欄

外国人の反応


anonymous
いったいどうやって怒りを乗り越えるの?あなたの代わりに俺が怒っているよ。

投稿主
私のために怒ってくれる人達はたくさんいたよ、なぜなら私が怒らないから。

私は人生や精神を怒りに支配させないようにしている。そして怒り狂わないでいる方を選んだ。誰も憎みたくないし、憎んでいない。その代わりに思いやりを持つことを選んだんだ。

自分が監禁されたとき、私は唖然とした。なぜこんなことになっているのだろう?どうして私は死刑囚監房の中で座っているんだろう?まるで目覚めることのない悪夢のうちにいるようだった。

それから防衛の態勢に入り、身の潔白を証明する方法を考えようとし始めた。それでも怒りはしなかったよ。憎しみが刑務所の人々に何をもたらすか、私は見てきたからね。


anonymous
80年代から90年代にかけて、有罪判決を出す為に使用された法医学の”科学”の多くは、よくても欠陥を抱えたものであるか、今では完全に否定されているものすら存在する。

37年の間に、あなたはたくさんの囚人と知り合ったはずだが、あなたと同様に無実だと確信できる囚人はいる?

投稿主
すぐに思いつくのは、私と共に死刑囚監房にいたジョン・メリットという男だ。今は減刑され一般監房にいる。

彼は、他の誰かがやったことを示す書類を持っているが、助けを求める足掛かりを得られないと言っている。何年にもわたって彼と何度も会話をしたが、今日までジョンがしていることは私がしてきたことと同じだ。
人々に手紙を書いたり、法律図書館に行って調べものをしたりしている。彼の目的は無実を証明するために真犯人を見つけることなんだ。

…短い刑期だったのに、結局刑務所内で自分を守るために誰かを刺して何十年も刑務所にいることになった囚人の多さを知ったらみんな驚くだろう。

フロリダ州立刑務所に18カ月の刑期で収監されていたフランクという男を私は知っている。この刑務所はワルの中のワルが収監されるところだから、18カ月の刑期の罪の男をおくるべきじゃなかったんだ。

ある男たちにフランクはレイプされそうになり、彼はそのうちの一人を刺した。そしてそれから30年たった今でもその罪により刑務所にいる。彼は当時まだ18歳だったからそこにいるべきではなかったんだ。


anonymous
死刑囚に関するプロセスには長い時間がかかるのは知っているが、それでも37年は長いね。
その間、あなたは免罪を晴らすという希望を持ち続けられたの?釈放される可能性がないまま生きなければならない気持ちはどんなものだった?

投稿主
私は無実が証明されるだろうという信念を持ち続けてたよ。ある時点で、特に3度目の仮釈放が却下された時に、たとえここで死んだとしても、家族のためにいつか真実を明らかにしてほしいと思うようになったね。


anonymous
自由になってから適応するのに難しかったことって何?

あなたの生活に、良かれ悪しかれ影響を与えたテクノロジーの変化はある?

投稿主
電話。刑務所に入る前は紙の地図を使用していた。グーグルマップも携帯電話もない。今ではネットで調べられるのは言うまでもないが、当時は探し物をみつける為に何キロも車を運転しなければならなかった。今は部品でも家具でもどこにも行かずに見つけることができる。

…自由になってから数日は徹夜で電話をしていたよ。はじめは弁護士から電話がかかってきても、電話に出ることが出来なかった。画面をスライドする方法を知らなかったから、タップしていたんだ。圧倒されたよ。刑務所で携帯電話は見たことがあったが、使ったことはなかったんだ。


anonymous
あなたの歯型の一致を主張した歯科医に対してはどう思う

投稿主
どちらかと言えば、彼や元地方検事のマーク・オバー、そして刑事たちには同情している。なぜなら彼らは人間性に鈍感で、有罪判決を出すことに注力するあまり自分たちがしたことに対する反省を認めることができないからだ。



anonymous
自分には冤罪でありながら刑務所で33年間過ごした友人がいる。彼は今でも汚名を払拭しようとしている。

18歳で刑務所に入り今は釈放されているが、刑務所の影響が色濃く残り、人々との交流に苦労している。社会的な不安を抱える彼をわたしはどう助けることができるかな?


投稿者
あまり助けられないと思う。第一に、彼自身が自分を助けたいと思わなければならない。
彼を地に足をつけるための唯一の方法は、外に出て働き、仕事に専念して収入を得て、請求書を支払うといった日常生活に集中させることだ。簡単なことではないが、刑務所メンタリティを克服できるだろう。


anonymous
釈放された後、まず食べたかったもの、したかったこと(家族を訪ねるとか以外に)は何?

投稿者
私は長年無罪を証明することに注力してきたからそういうことは考えてこなかったかな。

私の夢はずっと妻と子供をもつことであったが、年を取ってから計算し直した。身の潔白を証明することに躍起になっていたから楽しみについては考えなかった。

家族も友人もわかってくれない、何か楽しいことをしないとダメだって言うんだ。ずっとシリアスな環境で生きなければならなかったから遊びのことは考えなかった。


anonymous
刑務所は数十年の間に変化はあった?

投稿者
私が入所した当時はかなり荒っぽかった。その後、システムが変わった一例としては、暴力的な受刑者を隔離する方法がどんどん出てきたということだと思う。

隔離しても、ある時点でまた一般社会に戻され、そして再び同じことを繰り返す者もいる。またその他にも刑務所のシステムはいろいろと変わってきている。

昔は少なくとも肉などの本物の食べ物があったが、ここ何年かはあらゆるものに手を抜き、一番安いものを提供するようになった。
それに看守がより攻撃的になったというか、全員ではないが何人かは制服が気に入らないようで、受刑者をゴミ同然に扱うようになった。私が最初に入ったときは、看守はそんな態度を取らなかった。


anonymous
これだけ長く刑務所にいたなら刑務所内の生活にも慣れたとは思うけど、その生活で恋しいものはありますか?

投稿者
何もない。それは絶対にない。


anonymous
免罪の補償でいくらもらったの?

投稿者
1400万ドル(約20億円)はもらっていないな。訴訟費用や弁護士費用、その他もろもろを差し引いて、私が手にしたのはその半分だ。お金では何も取り戻せない。


anonymous
入所初日のほかに、精神的にきつかったのはいつ?

投稿者
処刑(※訳注:この場合おそらく他の受刑者の手によるものを指す?)が行われるたびに、それを受け入れるのは難しかった。

霊柩車が顔見知りの人物を乗せて刑務所から出ていくのを見た。
また収容施設にいたときに、その日の朝に見かけたばかりの男が担架で運び出され、誰かに殺されたとかで検視の車に乗せられるのを見た。当時はよくあった。

私にとって最大の葛藤は、不要な暴力と死を目の当たりにすることだった。 そしてたいていの場合、人が殺されるのはとても愚かなことが原因だ。

誰かが自分の独房の中を覗き見たと思ったとか、
誰かが国営の石鹸を使って、それは共有のものであるのに、別の男が自分のものを使用されたと怒ったとかね。

刑務所の生活に適応するためには、敬意を持たなければならない。他人に敬意を払い、同時に敬意を得なければならない。しかし、なかには敬意というものを間違った意味で解釈するやつもいる。

そういう人間は、例えば誰かが自分にぶつかれば、刑務所内での尊敬を取り戻さなければならないと考え、行動にでる。


anonymous
(中略)

20年以上服役する人にどんなアドバイスをしますか?服役中、精神的な健康を保つために行っていた儀式はありますか?

(中略)

投稿者
刑務所に入ったら、本や雑誌を読んだり、可能な限りニュースを見たりすることに集中しなければならない。

最も重要なのは、刑務所の生活様式に陥らないことだ。

周りの人間と同じようにならないこと。レクリエーション広場に行って受刑者とつるむのではなく、チャペルに行き、彼らのプログラムに参加し、職業プログラムに参加し、出所したときに使えるような職業を学ぼうとする。

基本的には、より良い人間になって出所するつもりで、できるだけ賢く時間を使うことだ。


anonymous
あなたが不当な有罪判決を受けてのち、制度はどう変わりましたか?
また貧困が有罪判決に一役買ったと思いますか?

投稿者
テクノロジーの進歩によって、システムは明らかに変わった。あらゆるところにカメラがあり、携帯電話で居場所を特定できる。
それでもまだ社会はめちゃくちゃなのか?

自分たちのシステムが間違ったことをしたと認めたがらない責任者の立場の人間がまだオフィスに座っていたりするんだよ。だから人々が自分の潔白を証明するのが難しくなったりする。

私が当時長髪であったこと、そして貧乏であったことが、警官のいわゆる”刑事の勘”ってやつに決定的な役割を果たしたと思っている。


anonymous
あまりいい質問が思いつかないけど、人々にもっと興味を持ってほしいことってある?

投稿者
私は一般的なシステムや、こういったシステムを運営しているオフィスにいる人たちに興味を持ってほしいだけだ。

もしアンドリュー・ウォーレンみたいな人物がマーク・オベール(※彼の事件を担当した検事)を追放していなかったら私はまだ刑務所にいたかもしれない。

私は人々に、こういった人物たちを調べ、彼らがキャリアにおいて何をしたかを調べ、良いものでも悪いものでも、そうした事実をもとに決定を下してほしいと思う。


anonymous
1983年以来、世界が外見上どのように変わったかについて気づいたことは?

投稿者
何もかもだ。聞いてくれ、私は店が全く認識できなくなった。昔あったものはすべてなくなっていた。

出所したときには、知っているショッピングモールは一つしかなかったし、当時そこには有名な店が数軒あるのみだった。

出所後にモールに行ったが、「過去のことは忘れろ、ここは言わば小さな街みたいなものなんだ」と感じたね。
弁護士も一週間ほど滞在してくれて、セルフレジの操作や出生証明の取得など生活に適応する手助けをしてくれたよ。


anonymous
これからのプランは?また、なにかしてみたい趣味とかある

投稿者
ほとんどの時間そうしているのだが、仕事だ。働いて、できる限り家族や友人の助けになろうとしている。
身近な人を助け、ホームレスの人たちに食事を与え、修理工を雇う余裕のない人を助けたりすることで私は機能していると思う。

みんな私にゴルフをやらせようとするが、それじゃあ私ではないね。他にできることがある。


anonymous
有罪判決を得るためにあなたを罠にはめた検察官や鑑定人と会いたいと思いますか?

投稿者
いいや、彼らは彼ら自身の人生を生きなければならない。

2023年の訴訟の調停で、裁判の時以来に彼らに会った。彼らはとても老けて見えたし、まったく幸せそうに見えなかった。皆が調停から去るときになって、彼らの顔はもっと平穏な顔になっていた。

なので私はそれでいいと思う。誰かが不幸な人生を送るのを見たいとは思わない。


anonymous
あなたは今幸せ?

投稿者
もちろんだ。


以上 Redditより引用 

ひょうきん者が捕まった。

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  1. 匿名 より:

    素晴らしい翻訳だった